富山いきいきライオンズクラブ
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活動紹介
活動紹介  松川美化清掃活動

 松川美化清掃活動(富山城址公園・県庁・市役所周辺)の選定理由 設立趣旨のとおり、環境美化運動に特化したクラブが、何を対象にして活動するかを検討した際に、富山市内数箇所の候補地の中から、富山市民の憩いの場である城址公園とその脇を流れる松川周辺の環境を整備することが、活動の本拠を富山市においているクラブとして当然の責務であろうということをクラブ内で意識統一し、決定した。
松川清掃 松川清掃
松川清掃 松川清掃
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活動紹介

鯉のぼり掲揚

 市民連携委員会が中心となり、多くの方々から寄付していただいた鯉のぼりを松川沿いに掲揚しております。 桜が有名な松川。桜が散った後の5月まで富山市民・観光客ら多くの人々に憩いの場として親しんでもらいたいという思いを込めて清掃活動と同時におこなっております。
[鯉のぼり掲揚式]
鯉のぼり掲揚式 鯉のぼり掲揚式
[鯉のぼり掲揚までの様子]
鯉のぼり掲揚までの様子 鯉のぼり掲揚までの様子 鯉のぼり掲揚までの様子
鯉のぼり確認 固定する方法? ロープに縛る
鯉のぼり掲揚までの様子 鯉のぼり掲揚までの様子 鯉のぼり掲揚までの様子
記念!一匹目 伊東L 掲揚 完成!
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さくら名所100選 松川公園
さくら名所100選の地 平成2年3月3日財団法人日本さくらの会よりさくらの名所100選の地として松川公園が認定されました。


松川誕生の秘密

神通川は現在の富山市内中心部を流れていました。しかし、たびたび洪水が起こった為、明治36年から、まっすぐ富山湾に注ぐようバイパス工事が始められました(馳越線工事)。かつての河道は廃川地となり、富岩運河を掘った時の土で昭和10年までに埋め立てられましたが、右岸側約20mは残され、それが現在の松川となっています。


松川の名前の由来

「松川」という名前は、当時の中州や川辺りにたくさんあった松にちなんで、縁起が良いとつけられたということです。
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馳越線工事とは

かつては富山城の北側で大きく蛇行していた神通川。湾曲しているために、堤防が決壊しやすく毎年のように起こる神通川の氾濫は当時の人々を苦しめていました。そこで明治29年から昭和12年まで三期に分けて治水工事が行なわれました。第一期「川幅拡張工事」、第二期「馳越新設工事」、第三期「改良工事」。この第二期の「馳越線工事」は明治34年に着工され、蛇行する部分に真っ直ぐな幅2mの分水路「馳越線」を開削し、明治36年に完成。その後馳越線の川幅は水の流れを利用して少しずつ川幅を広げていく方法をとり、大正3年に8月14日に起きた大洪水でついに、旧流路にはほとんど水が流れなくなり、分水路の方が神通川の本流となりました。松川はこの旧神通川の流路の名残であります。

「馳越線工事 青色の直流部分が現在の神通川の川筋。かつての川筋は大きく湾曲していたためもあり、洪水が絶えなかった。
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松川の7つの橋
桜橋(さくらばし)
富山10代藩主・前田利保が隠居所として千歳御殿を建立し、多くの桜の木を植えたことによる。昭和10年に竣工。
石造りの親柱や高欄にみる重厚な存在感と美しいアーチ型のシルエットは、完成当時の姿で親しまれており、国の登録有形文化財に指定されている。
華明橋(かめいばし)
明治以降、桜木町が華やかになり、ぼんぼりの灯も明るい歓楽街となったためと言われる。橋を渡ると「荒城の月」等のメロディが流れるよ!
塩倉橋 (しおくらばし)
富山藩の塩の倉があったことから命名された。
七十二峰橋 (しちじゅうにほうばし)
橋上にたたずみ、はるかに東を望む時、立山七十二峰の雄大な景観を眺められることによる。
景雲橋 (けいうんきょう)
池の上にかかる赤い欄干の太鼓橋。
安住橋 (あずみばし)
神通川を利用し、天然の要害を周囲にはりめぐらしていた富山城が、安住城、または浮城と呼ばれたことによる。
98年に立山連峰と松川、太陽と青空をイメージしたガラスの欄干橋に架け替えられた。日光やライトの光加減によって色が変わる。
舟橋 (ふなはし)
軍事上の目的もあり、64隻の舟を一列に並べ、その上に板を敷いた舟橋が架けられていたことによる。往時を偲ばせる常夜燈も残る。
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松川べり彫刻公園
[1] 年若き女
年若き女 著作者:松田 尚之
清純な乙女の像ですが、すんなりと立って伸ばして前で組んだ手、未成熟な角ばった体からくる張り詰めた緊張感が美しくピーンと伝わってくる様です。
[2] 元  武
元  武 著作者:松村 外次郎
中国の古事に鳳凰、麒麟、青龍、白虎、朱雀、元武を六霊と呼びましたが、転生して四神となり、東西南北を鎮る青龍、白虎、朱雀、元武となりました。親亀の上に小亀が乗って単純化されたその形は、しっかりした組立の中で安定した大きな構想を作っています。ふるさとの山々を背景に川が相寄って千仭の渓谷から久遠の光を求めて天空を仰ぐ姿、元武は北国の守りです。
[3] 龍  炎
龍  炎 著作者:村井 辰夫
龍は古来より帝王の格式を持つと言われており、炎は最も強い意志の兆とされています。龍の姿を元としてそれを造形化し、東洋的な勝利への象徴として考察した制作品です。
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[4] 雲
雲 著作者:柚月 芳
故郷を遠く離れて幾星霜、常に空を見上げては千変万化の雲のたたずまい、その行方を追う毎日の心境を乙女の像に託しました。
[5] 眼を閉じた時
眼を閉じた時 著作者:浦山 一雄
素直な少女の像ですが、下から上に流れるような動感が美しいです。張り詰めた緊迫感が一瞬着衣のところで止まり、抒情的で表情豊かな顔にかけてまた動き出します。心臓の音が聞こえてくるような木陰の優しい像です。
[6] ワイシャツの女
ワイシャツの女 著作者:田中 昭
水に少し濡れたワイシャツを無造作に肩にかけ、布ひだを透して体の美しい線を見ようとしました。大胆にデフォルメした腰のひねり、両足の組み方、布を持つ指の仕草などに女らしさを求めました。体を揺らすロマンの心がどこかに漂い、明日の出会いを夢見て物言わぬ女の瞳が優しくいつまでも輝いています。
[7] 敦姫
敦姫 著作者:堀 豊之
敦姫は子供達の先生です。いつも明るい気持ちで優しく、美しく、永遠に暖かく包んでくれる事でしょう。そりのある大きな動きの中に、ハチ切れる様な若さを溢れさせ、組んだ両腕に一層動きを強調してみました。
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[8] 春
春 著作者:得能 節朗
着衣の少女がさり気無く木陰に立って、ふと立ち止まった静かな朝。木漏れ日の中、どこからともなくやって来た小鳥が周囲を飛び回り、差し出した手の上にチチ…と、とまった。
[9] 珠重吹
珠重吹 著作者:横山 豊介
川面にポトリ!と落ちた一滴。水の塊が、ずんずん夢の中で珠重吹となり、その塊の中から松川の精(人魚)が飛び上がって来ました。美しい水を求めて、美しい水をありがとう。水面に流れる。耳を傾けよう私達は…。飛びはねた水重吹にのって、歓びに大きく手を拡げ舞い上がる姿です。
[10] めぐみ
めぐみ 著作者:板橋 一歩
終戦後、立派に整備復興して来た富山市松川に、繁栄と平和をもたらす使者(鳩)が舞い降りて、それをしっかり胸に抱きしめる幼女の永遠の姿を徴しました。強く、正しく、健やかに、着衣の少女が天空を見上げ「めぐみ」多き自然に感謝し、さらに大きな発展を祈りながら制作しました。
[11] 地球と人間
地球と人間 著作者:辻 志郎
地球は、一部の有力な国や人に支配されているのではなかろうか。もしそうであればそれで良いのだろうか。人間はこれで良いのだろうか。どのように生きるべきか、自分自身を厳しく見つめていこうとする姿勢を、逞しい男性像で表現した作品です。
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[12] 地球と人間
地球と人間 著作者:永原 廣
樹間から緩やかに射す光と微風の交錯は、今日へ紫の影を織りなし、いつか厚い歴史の流を創り、人間の人生に進化進展への層を描き続けます。永遠なる幸せの夢を託して…。大きな丸い帽子をかむり、安定した座った形の中に人生の安らぎと幸せを念じ、空間の少ない塊りに効果を求めました。
[13] 大地からの円筒
大地からの円筒 著作者:岩城 信嘉
海の山を歩く白い炎
青空に逆さにされた山
魚達の平和への願い。
[14] 大地からの円筒
大地からの円筒 著作者:大成 浩
荒寥たる砂漠に舞う風。緑豊かな山や草原を撫でる風。海を渡る風。これらは同じ風でも時と所によりその姿は様々で、与えるイメージも様々です。私はこの目に見えない何千年、何万年と言う時の流れを否応なく見せ付けている風と言う物を表現しようとしてきました。私の手で。それは幼児期に見た満州の大地を飛び舞う土鰻頭となった人々の魂への哀悼の形象化でもありましょうか。
[15] 大地からの円筒
大地からの円筒 著作者:谷口 義人
「進歩と発展」をシンボライズする事。歴史がどう変わろうと平和で明るく未来に向って活力ある社会を念じ、その方向づけを「離陸の方位」と題しました。それは植物が大地からむっくりと発芽し一葉二葉と繁茂していくように、また鳥が大空へ羽ばたこうとするように、明日へ、そして高きに向って、成長、発展を意味します。
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[16] KEY STONE82
KEY STONE82 著作者:米林 雄一
アフリカ産の黒御影石を、幾何学的な要素でシンプルに構成しました。表の鏡面と裏の割膚を対照的にし、量のある厚味が上にゆくにつれて薄く押し潰されたようになっています。平面的にする事で、より立体感が増すようにしました。雨上がりの黒御影が上部から静かに乾いてゆくさまは、霧のカーテンが降りてくるようにも思えます。
[17] 二人
二人 著作者:篠井 欽治
仲の良い二人といった意味と、一人ではあまりにも淋しいのでせめて二人でといった、人の世の儚さを想いながら制作したものです。
[18] 曼−O
曼−O 著作者:岡崎 星秀
自然の中に設置される作品は、室内の作品と本質的に違って、無限の空間を振動させるエネルギーを持たなければなりません。「曼」は、そこで作品の中にも空間を作りました。この限られた空間から見る自然の樹木とのかかわり合いにも興味があります。またこの中を通り抜ける子供達にも…。松川べりの樹木と作品との対話、自然と人と作品との対話に堪えうる作品でありたいです。
[19] 針葉樹のように
針葉樹のように 著作者:横山 善一
雄渾に、大地に、しっかりと根を張り、優雅に大空を仰ぐ欅。円錐型をして垂直に天を突き刺すように力強く協調しながら伸びている杉や檜。現代という狂気に充ちたこの時代にもかかわらず、私が優しく見守られているのは、厳しい大自然の中で無心に生き続けている樹木の生命力の偉大さの賜物なのかも知れません。私は針葉樹のように我が道を歩みたいと願っています。
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[20] 伸びる
伸びる 著作者:中谷 唯一
知、統合、芽生え、伸びる。輝く置県百年の歴史の上で、さらに新しい可能性の芽生え、その発展飛躍は文化(逞しく創造的な市民の生活)と豊かな自然との統合、調和に支えられるものです。人と自然、都市と自然、文明と自然、抽象彫刻と緑の統合を祈念しました。
[21] ヒマラヤの少女
ヒマラヤの少女 著作者:田近 東岳
私の立山登山暦15回、御来光を仰ぐ澄み切った印象。ネパールに旅した時ヒマラヤの日の出を仰ぐため、カカニの丘に登り少年少女達の出迎えをうけました。山を仰ぐ清々しいその時の印象を作品にしました。少女の纏った布に富山市の樹、椿模様を刻み込んでみました。
[22] 緑のアプローチ
緑のアプローチ 著作者:善本 秀作
緑ガン疾風のように駆けてゆく。夏になると無限の拡がりを持ちながら、一色濃い緑となる。その中に立つ青春像に光が輝いている。フードのある上着をつけた女性が静かに歩き始めようとする瞬間をとらえました。それは青春の訪れに目覚め、その真っ只中へ第一歩を踏み出したかのようであります。
[23] 対話
対話 著作者:二口 金一
現代社会にまつわる不安感、人と人との関わり合いなど複雑な人間関係の中の対話を、人物と鳥の姿を借りて表現してみました。台石からはみ出した人物は空間を大きくとり、離れた所に鳥を配し、しかも向い合っていないところに面白さをねらいました。
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[24] キタキツネと子供
キタキツネと子供 著作者:長谷川 総一郎
キタキツネと人間との心の触れ合いを描いた感動的な物語りを題材にし、幼女が胸元に駆け上がった子ギツネをしっかりと抱きかかえた姿に親ギツネが戯れるという、動物と人との心の一体感を叙情的に表現しようとしたものです。
[25] ながれ
ながれ 著作者:高橋 勇
川べりで水の流れに足をひたしながら、広がる水の輪を見つめる。静かな水面との対話です。希望に満ちた明るい将来への夢の広がりをかみしめながら…。
[26] 緑陰
緑陰 著作者:森田 清一
清純な乙女の像でありますが、あげた両手のポーズに、大きな塊りの量感の流れを求めました。川べりの樹々の間に一汐の潤いを与えてくれる事を願っています。
[27] 薫風
薫風 著作者:堀田 清
満身にこころよい初夏の薫風を受けて、希望に胸を膨らませている着衣の女の像です。しっかりとした健康な四肢と、女らしい滑らかな体躯に秘められた優しさ、高くさしあげた右手へかけての大きな動きで桜並木との対比を願いました。
[28] 希望
希望 著作者:中川 敏之
少女が両手をあげ、胸を張り、花束を天空にささげる像です。開かれた両腕に、大きな目標を胸に未来に向かって前進する姿を求め、花束に新しい息吹を生み出す歓びと愛の表現として…。
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